Sādhana & Sādhya #7
人間の追求の分析 (2)
ですから、未来の人生、死後の人生、より良い生まれ、より良い世界、ローカは、一時的ではありますが人間がそれらを望んでいるため、もう一つのサーッディヤと呼ばれています。それだけでなく、それはダルマと呼ばれています。このプルシャアルタとしての意味がダルマの最も重要な意味です。人間によって達成されるべきもの、サーッディヤであり、人はそれを達成することを選択する必要があります。アルタとカーマは非常に自然な追求です。実際、動物にさえアルタ・カーマの追求を見ることができます。より単純な形で、彼らは喜びを求め、彼らは安全を求めます。もし余分な骨があったら、犬は翌日のためにその骨を埋めますが、次の三世代のために骨を積み上げることはありません。それは人間の特権なのです!
完全な人間になるためには、自らにおいて成長する必要があります。それは、自ら率先して達成しなければならない成長です。それは非常に重要な目的であり、自らそれを認識しているかどうかにかかわらず、人間が望んでいることでもあります。もしアルタ・カーマからのプレッシャーがあれば、それは貪欲と切望に変わり、この成長への切望、ダルマへの切望の存在を認識できないかもしれません。これが私たちが言う自己成長であり、すべての人間が達成したいと思っています。なぜなら誰もが完全な人間になりたいからです。私たちはそれをダルマと呼びます。
これで三つのプルシャアルタ、アルタ、カーマ、ダルマです。それが天国であるならば、ダルマは最後のプルシャアルタです。それが自己成長なら、ダルマが最初で、次にアルタとカーマが続きます。ダルマがアルタとカーマをコントロールするのです。したがって、私たちのプルシャアルタ、ダルマ、アルタ、そしてカーマには順序があります。これらはすべてサーッディヤです。これら三つのプルシャアルタ、アルタ、カーマ、ダルマは達成するための目的であり、人々はそれらを達成しようと努力しています。しかし、それらのいずれかが、またはすべてが一緒になって、人間が基本的に目指すものを構成しているのでしょうか。いいえ、私たちにはもう一つの目的、最後の、究極の目的があります。人間としてあなたはそれを成し遂げることができます。それもまたサーッディヤですが、違ったタイプのサーッディヤで、それにはそれ独自のサーダナがあります。