Sādhana & Sādhya #8
自意識が自己の判断につながることが人間の問題(1)
人間は他の生命体とは異なります。植物であろうと動物であろうと、生命体は自らの環境を意識しています。木々に意識がないと思わないでください。彼らには意識があります。もし光がなければ、木は曲がって光に当たろうとします。木々はまた、いつ葉を落とすかを知っています。
すべての動物は自らの環境を意識しています。動物たちは何を食べ、何を食べないかを知っています。彼らは食べる物を探し、推測してそれらを見つけます。すべての動物は推測の専門家です。そのため、警察には犬の分隊があり、彼らは犬の後をついて行きます。犬はにおいを嗅いでその源へ辿り着き、動きながら推測します。コウモリは夜、目が見えませんが、速く飛べます。彼らは自分たちの道を正確に知っていて、木々に当たって傷つくことはありません。彼らは自らの鳴き声の反響を解釈し、その音から、「ここに熟した果実がある」と解釈します。この音は未熟な果実から来る音とは異なるのです。ソナーのデータに基づく独創的な解釈です。
すべての動物は知覚し、推測します。あなたもまた、知覚し、推測します。すべてに意識があります。植物には意識があり、木には意識があり、犬には意識があり、すべての虫には意識があり、そして、あなたにも意識があります。意識ある活動は知覚と推測です。推測とは、マインドの活動と認識、感覚的活動を意味します。すべての動物、すべての昆虫は同一性意識を持っており、それにより種が維持されるのです。
では、人間をこの惑星の他のすべての生物と違うものたらしめているのは何なのでしょうか。人間のマインドに表れている意識は抑制されていないようです。その理由は、人が自らについて判断できるからです。それは種の観点からの単純な同一性意識ではなく、自己についての判断です。それが可能なのは、マインドを持った人がこの世界を意識しているだけでなく、自分自身についても人として意識しているからです。人として意識があれば、自由があります。どこからこの自由は来るのでしょうか。それはあなたが意識しているまさにその自己から来ています。
私は自意識のある人です。それは常に「私は」で始まり、その後すぐに自分自身についての判断が続きます。 「私は人間です」、それから「私は男性、女性です。私は若い、年をとっています。私は健康です、健康ではありません」。他に自己を同一視する特徴には、「私は背が低い、背が高い、色が黒い、白い、白人です」などがあります。また他にも、他愛のない特徴として「私は空腹だ、喉が渇いている」など、そして心理的に人を傷つける特徴、「私は鈍い、私は無知だ、私は役に立たない」 もあります。「私は役に立たない」とあなたが言った瞬間、そこにはプレッシャーがあります。あなたは自分が役に立たないことに耐えることができず、何かの役に立ちたいと思っています。また、自分が役に立つと他の人に認識してもらいたいと思います。したがって、あなたは他の人からあなたは大丈夫だと言われるように物事をします。あなたに承認を与えるこれらの他の人々も、あなたからの承認を求めています。彼らも同じ種であるためです。彼らはあなたからの承認が必要であり、あなたは彼らからの承認が必要です。私たちは皆このように生きています。
つまり、自意識が自己の判断につながることは人間の特徴と言えます。そして、この特徴があるがために、不十分という人間の問題があります。どんな量のアルタやカーマがあっても十分ではないのです。人はどのくらいのアルタが欲しいのでしょうか。犬は余分な骨を取っておきますが、山盛り蓄えはしません。アリも物を集めますが、止める時を知っています。しかし、人間は止めません。なぜなら問題は外的状況ではなく、「私は不十分で、不安で、取るに足らない」というその人自身の自意識に集中しているからです。
これが人間の子供の気持ちでした。すべての人間はこの気持ちで人生を始めます。それについてはいくらかの真実があります。人間の子供はとても小さいので、他のみんなが話したり、歩いたり、何かしているのに、子供はできません。さらに、その子は自分もいつか大きくなることを知りません。その時点では、「私は役に立たない」ということしか知りません。ですから、「私は役に立たない、取るに足らない、小さい」というのは、子供にとって自分自身についての基本的な結論です。子供は無垢であり、この感覚は自然であり、それは子供にとって有効です。私たちはそれが有効ではないことを証明しようとしています。それは子供が後に大人として知るべきことですが、今のところ、この子はこのように感じています。後に子供は成長し、成長すればするほど、「私は無力だ」と知るようになります。無力感は続きます。バクテリアに対して無力感があります。あなたは自分が空気を吸い込んでいると思っていますが、あなたは自分自身に社会を吹き込んでいます。でもあなたはそれを知りません。そして無力感があるのです! あなたはあらゆる状況において自分が無力だと思います。どこに行っても、「私にはできない、そして私はもう我慢ができない」とあなたが言うポイントがあります。