Sādhana & Sādhya #13

3月 27, 2022 | Sādhana & Sādhya, ヴェーダのヴィジョン

モークシャはすでに達成された事実

自由、モークシャはシャーストラ(聖典)のヴィジョンの観点から、そしてアートマーの本質の観点からシッダ・ヴィシャヤ、すでに達成された事実です。サムサーリットヴァンからの自由がアートマーの本質であり、それがモークシャです。しかし、モークシャを望んでいる人の観点からは、それは王子であることのようにサーッディヤ・ヴィシャヤ、達成されるべきものです。「私は王子である」はすでに達成された事実、シッダです。しかし、彼はその事実を知らないので、それはサーッディヤとなります。

もし、すでに達成されたもの、シッダが達成されるもの、サーッディヤであるなら、その達成は何かになるプロセスによって得ることはできません。それは知る手段によってのみ可能です。ですから、モークシャへの欲求、サムサーラからの自由は、自分自身を知りたいという欲求に変換されます。

モークシャへの欲求は誰にでもありますが、それに気づいているのは一部の人々だけです。誰もがサムサーリットヴァンからの自由、自己を受容しないことからの自由を望んでいます。そこに例外はありません。しかしそれは知られていません。

よって、モークシャへの欲求は自己を知ることへの欲求、アートマジッグニャーサーに変わります。 ムムクシャー、moktum icchāはジッグニャーサー、jñātum icchāに変換されます。モークシャへの欲求を自己を知ることへの欲求、ジッグニャーサーに変換することは重要です。なぜなら、そうすれば人生が方向性を得るからです。