Sādhana & Sādhya #10
モークシャは不安からの解放
もし私が本当に望んでいるものが完全な安全であるなら、それは私以外のものではあり得ません。なぜなら「完全な安全」と呼ばれるものは何一つないからです。あなたは安全を求めているのですか、それとも不安からの解放を求めているのですか。それが問題です。実は、あなたが求めているのは、不安からの解放、不満からの解放です。この自由はモークシャと呼ばれます。これはサンスクリット語の動詞の原形”muc”から来ており、自由、あなたが望まないものからの自由を意味します。それはあなた自身を中心としています。したがって、四つめのプルシャアルタはモークシャで、不安から自由になることです。
そこにプルシャアルタは四つありますか、それとも一つだけでしょうか。たとえばあなたにこの自由があるとしましょう。そうしたら、他のプルシャアルタはなくなりますか。あなたはダルマ、アルタ、カーマから始まり、最後にはモークシャに行き着きます。一度モークシャが何であるかを見極めると、他のすべてのプルシャアルタはその探求を助けるものとなります。それらは失われることはなく、主要なプルシャアルタに仕えます。あなたはアルタ・カーマの追求や、ダルマの追求をすることができます。それらはすべて道半ばですが、あなたは自らが望むものの非常に明確なビジョンを持っています。それはモークシャです。この時、人生が意味を持つのです。もしモークシャがさらに理解されれば(その他の)追求ははるかに意味のあるものとなります。
ですから、サーダナには二種類あります。自己成長のためのサーダナがあり、モークシャのためのサーダナがあります。自己成長がなければ、モークシャの可能性はありません。これらの二つのサーダナがヴェーダーンタ・シャーストラ(聖典)の全体を構成しています。