Sādhana & Sādhya #16
ヴェーダーンタは自己の知識のための手段—プラマーナ
自己、アートマー、それはあなたに知られていますか、知られていませんか。アートマーは私によって知られているのでも、知られていないのでもありません。私は自分が存在するということをよく知っています。しかし、私は自分がなりたいものなのだということを知りません。私はまた自らが全体であり、すべての原因であることを知りません。さらに、私が与えられている五つの知識手段を通してそれを知る方法はありません。それは不可能なことです。したがって、アートマーはヴェーダの主題になるのです。ヴェーダ、そのシャブダは、この自己の知識のためのプラマーナであり、それはヴェーダーンタと呼ばれています。他のすべての手段と目的、サーダナ・サーッディヤはカルマ・カーンダ、ヴェーダの最初の部分を形成しています。(ヴェーダの)最後の部分、ニャーナ・カーンダがヴェーダーンタであり、その主題は自己の知識です。
ヴェーダーンタは言葉という知識の手段で、自己を明らかにするためのものです。それが知識の手段、プラマーナであるなら、それを使うことなしにその有効性を証明することはできません。たとえば、私の目は知識の手段であり、それらが見えるということは私が目を開いて見るときにのみ証明できます。目を使う以外にそれを見つける方法はありません。そして私の目は機能していることがわかります。したがって、知識の手段の有効性は、その手段を採用し、それが機能するかどうかを確認することでわかります。
ヴェーダーンタが知識の手段であることを理解したら、その知識の手段を採用し、それが機能するかどうかを確認する必要があります。それに反してあなたができることや言えることは何もありません。あなたは自ら教えに触れて、それが有効であるかどうかを見なければなりません。あなた自身がその主題であり、それが言うことが真実であるか、確かめなければなりません。ヴェーダーンタが知識の手段であるとあなたが言うとき、それはあなたについて話しているのです。あなたはすでに存在している人であり、間違って知られてはいるが完全に知られていないわけではありません。それは天国についてあなたが何も知らないというようなものです。
ヴェーダーンタがあなたについて与える知識は、いかなる面でもあなたの経験と矛盾するものであってはなりません。 ヴェーダーンタが言うことはアバーディタ、否定の対象ではありません。知識という言葉は、それが精査に耐えうるものであり否定することができないという意味なのです。分析の後、知識は無傷でそこになければなりません。これはアバーディタ・ニャーナと呼ばれます。それは直接の知識であるため、推測されるようなものではありません。また信じるかどうかという問題でもありません。それは知るかどうかという問題です。知識が関わるところでは、それはすべての反論を論破しなければなりません。すべての反論は崩壊し、ヴェーダーンタによって明らかにされるものは無傷のままです。プラマーナ、特に特にシャブダ・プラマーナは、私にとって有用で否定の余地がないものを明らかにする、pramāṇasya abādhita anadhigata phalavat arthabodhakatvam、 という特徴があります。ヴェーダーンタはこの定義を満たしており、よってそれはプラマーナなのです。
ヴェーダーンタとはヴェーダの最後にあるもの、最後の部分という意味です。それは位置についての言葉です。それはまたはウパニシャドと呼ばれます。ヴェーダーンタの主題は、自己の限界という概念すべてを取り除く自己の知識です。ウパニシャドという言葉の意味を見てみましょう。 Sadは語根、upaとniは接頭辞です。Sadという言葉には、viśarati、avasādayati、gamayatiの三つの意味があります。 Viśaratiは使い果たすものを意味します。Avasādayati、終わらせるもの、そしてgamayati、到達させる、または知らせるもの。これらすべてをするものが”upani”で示されます。 接頭辞upaは非常に近いものを意味します。あなたが成し遂げたいのはモークシャ、満ちていること、無限であること、時間からの自由、つまり死からの自由であり、これはあなたから遠くにあるものではありません。それはあなたです。あなたよりも近くにあるものはあり得ません。 Niはniścaya jñānamという意味で、よく確かめられた知識のことです。つまり、upaniはよく確かめられた自己の知識という意味です。この知識はアナルタ・ヴラーターン、あなたが望まないすべてのものを、viśarati、使い果たし、取り除きます。自己の無知のためにあなたの上に重ね合わされたものはすべて、自己の知識の結果として消え去ります。アナルタが取り除かれるだけでなく、アナルタの原因、つまり自己の無知もなくなります。ポジティブに言うとbrahma gamayati、それはあなたが無限であり、あなたが全体である、あなたはブランマンだということをあなたに認識させます。ウパニシャドとは十分に確かめられた自己の知識とその結果、モークシャを意味します。よって、ヴェーダーンタの主題はウパニシャドです。
本がその内容によって呼ばれるのと同じように、ヴェーダーンタのテキストはウパニシャドと呼ばれます。インドの地理を題材にした本は、インドの地理、インドの歴史、世界史などと呼ばれています。世界史はその本ではありません。この本の主題が世界史なのです。同様に、その本はウパニシャドではありません。その主題がウパニシャドなのです。伝統では、バーシヤカーラ・シャンカラが解説している十のウパニシャドが徹底的に研究されます。それらは、イーシャ、ケーナ、カタ、プラシュナ、ムンダカ、マーンドゥーキヤ、タイッティリーヤ、アイテレーヤ、チャーンドーギヤ、そしてブルハダーランニャカです。
自己の本質を明らかにする言葉という知識の手段を手に入れた今、私は何をすべきでしょうか。私はウパニシャドの本から学ばなければなりません。この本から自分自身について学ぶ必要があるなら、必要なのは、この本が書かれ、そして提示される言語の知識のみです。もしくは翻訳を入手して本を読む必要があります。もしそうならば、グルの必要性はあるのでしょうか。